江戸時代から引継がれる伝統工芸【奈良県】

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匠の心 インタビュー vol.1

【池田含香堂 奈良県奈良市】

《近鉄奈良駅を南に抜け三条通りを少し歩くと「池田含香堂」の看板が目に入ります。色とりどりの和紙に透し掘りという独特の技法が施された奈良団扇の魅力を現在6代目の池田匡志さん(29歳)にお話しを伺いました。》

吉川:本日は宜しくお願い致します。まず最初に匡志さんで6代目ということですが創業して何年になりますか?

池田さん:創業の正確な年数はわからないんですが170年近くになります。江戸時代末期に創業したと聞いています。

吉川:創業当時はどのような方向けに団扇を作られていたのですか?

池田さん:元々日本には団扇という文化はなかったんです。1300年前当時都があった奈良、特に春日大社に中国から団扇が入ってきました。

それを日本なりの解釈や技術、材料で作ったのが『ねぎ団扇』と呼ばれるものです。

『ねぎ』というのは野菜の『ねぎ』ではなくて神職の役職で『権禰宜』や『禰宜』というものがあります。『禰宜団扇』というのは現在みたいに扇ぐためのものでなく、

位の高い人達が自分の位の高さを示す為に持つものであったり、あとは儀式で使用されていました。

風を起こして扇ぐ道具ではなく単純に物として扱われていました。

ですので奈良は団扇と縁が深い土地で江戸の初頭には私たち一般市民にも行き渡るようになってきました。

その頃辺りから透かしが空いていたり色とりどりであったり実用性が高く、耐久年数が長い奈良団扇が出来てきました。日本に現存する団扇の中で一番歴史が深いです。

吉川:色とりどりの団扇とおっしゃいましたが紙は染めているのですか?

池田さん:そうです。奈良団扇には白色もあるのですが白も独自の色を付けており胡粉と呼ばれる貝殻を使って白く染めています。

使えるところはほぼ天然の物を使用しています。

染め液も大豆の搾り汁を使っていますし、糊も米粉から作っています。当然団扇の骨も竹から作っています。全部手作りです。

色とりどりの奈良団扇

吉川:色んな柄の団扇がありますが、全て手作業で切っているのですか?

池田さん:そうです。団扇は表と裏二枚で一本分になります。

この透かしを彫るのは10本分、全部で20枚束ねてを一気に柄を彫ります。

突き掘りといって奈良団扇独特の技法なのですが小刀を少しずつ突き刺して奈良団扇の透かしの柄を作っていきます。

丁寧に突き刺して柄を彫ります

吉川:やはりお父様がやられているのを見てこの仕事を継ぎたいと思ったのですか?

池田さん:父親も勿論そうですが、祖父や祖母、母親がやっているの間近で見て

中学生ぐらいからぼんやりと団扇を作りたいと思っていました。その頃から少し仕事を手伝ったりもしていました。

吉川:以前に奈良団扇を作っているのは池田含香堂さん一軒と聞いたことがあるのですが元々は何軒かあったのですか?

池田さん:戦前の約80年前くらいまでは78軒あったのですが戦時中に池田含香堂一軒になってしまいました。

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